珈琲と俳人と勲章と、の日。

亜羅毘亜の遊庭でいつもお世話になっているKISSACOの満田さんに
鹿児島の美味しい珈琲のお店を教えていただいていたのですが、
なかなか行けませんでした。

しかし、今日はやっと行ってみようと足を運びました。
鹿児島市武にある、
珈琲専門店「マリアッチ」!

満田さんの珈琲を飲みつけて、やっと珈琲の美味しさに目覚めた
珈琲初心者の私にもはっきりと分かる香りの高さ、重みのある苦さ。
そして、飲んだ後の清涼感が心地よい。

金沢大学で珈琲学を教えている教授の師匠でもあるという、
噂に違わぬ珈琲博士の安藤さんから
船乗り時代の話や珈琲そのもののお話まで、
盛りだくさんで、気づいたらいつのまにか時間が経ってしまう。

本棚にも興味深いものがたくさん。
珈琲関連から詩集も。

そこに鹿児島在住の詩人であり俳人である高岡修先生の詩集も置いてあり、
「高岡先生も来られるのですか?」
と安藤さんに訊ねると、「そうですよ」と。

しばし、まだ安藤さんの興味深い話しを食い入るように聞いていると、
「あ!高岡先生がいらっしゃいましたよ」と言うではありませんか。

高岡先生とは、かつて働いていたとある公共機関でお会いしたことがあり、
私は下っ端でしたので、覚えていらっしゃらないとは思いましたが、
先生の俳句に対する情熱を仕事を通して拝見し、密かに尊敬していました。

ご高名な先生ですので、その後も新聞、雑誌等で名前を見ては、
そのときのことを思い出すという方でありました。

まさか、今日ココでお会いすることになるとは!
しかも、今、話題にしていたそんな時に!

お連れ様が3名、全員で4名で、
お席に着かれ、珈琲を頼まれていたので、
勇気を出して、お声かけさせていただいたところ、

快く応じてくださり、その当時の話しをしたところ、
とても印象的だったことのようで、
また私たちの踊りや音楽の話しにも興味を持ってくださり、
お陰さまでそのあとずっと皆様とお話しさせていただくこととなりました。

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お連れ様は、高岡先生のお弟子さん、といっていいのか、職場の女性と
仙台からいらした俳人の高野ムツオ先生、長崎からいらした前川弘明先生でした。

俳句は、一番新しい詩の形体であるということ、
言葉で何かを形作るのではなく、点として置くことで読む人の心に広がるものを作るということ。

そして、俳句の「俳」は、俳優の「俳」と同じ。
人偏に、「非」。
「非」の成り立ちは、人が手足をばたばたさせているところ、
つまり、踊っているところなのだというお話を聞きました。

人が手をバタバタさせていると、何かではない状態になる。つまり「非ず」の状態。
人偏に「非ず」で、「人に非ず」。
それが、「俳優」という言葉に使われているのは、
俳優が演じるというのは何か「自分=人」以外のものになっているから、
それで言うと、
踊り手もその人以外のものになっている「俳優」であるのでしょう?

とお話いただきました。
確かに踊っている時は、何か違うものにふっと頭や身体が飛んでいく瞬間があるものです。
この頂いたお話をもっと煮詰めて考えたいです。

そういうわけで、というわけでもないのですが、
詩人であり俳人高岡修先生の元へ、近々、入門しようと思っています!

言葉にもっと繊細になりたいですし、
表現力を高めたい!
昔書いた手紙のことを思い出すと、添削しにタイムマシンに乗りたくなるし!
アラブの詩を「遊庭」で詠んでいて、またさらに詩にも興味が湧いてますしね!

そうはいっても、中学生の頃はやたら詩を書いてましたが、、、はやってましたしね。銀色夏生。やなせたかし先生の「詩とメルヘン」も定期購読してました。投稿もしましたね、、、採用されたことはないんですが。

さて、

そして、夕方には、
とあるお祝いの会へ。

勲章をもらわれた方のお祝いでした。
初めて聞く、叙勲の前後のこと、皇居でのこと。

戦後、人間宣言をされた昭和天皇の後を継がれた、平成天皇。
近くに来られたときは頭を下げていてお顔を見ることすらできなかったと。
背中を見送るととても神々しかったとも仰ってました。

鹿児島から関東へ、単身仕事に出られたその方の
歩んで来た日々、ともに歩まれた奥様、ご家族、
皆さんの笑顔と感動を一緒に感じた夜。

何か、胸がいっぱいで眠れませんが、
おやすみなさい!