ベリーダンスと聞くと、妖艶な女性の踊りというイメージがある方も多いかもしれません。
一昔前までは、その名前すら知られていなかったことを思うと、どのような形でも知っていただけているのは、この踊りに取り組む者の一人としては嬉しいことと思っております。しかしながら、妖艶であったり、女性性の踊りというのはベリーダンスと呼ばれる踊りの、「とある一面」でしかあり得ません。中東を起源とするベリーダンスは今、英語圏の国々で紹介された際に英語で名付けられた「Belly(ベリー)=お腹」の踊りという名前から、「Oriental(オリエンタル)=東方の」踊りという名としての認識を広めようという潮流がヨーロッパ及び本場エジプト、トルコから起こっています。
しかし、果たしてその名前は歴史の検証に耐えうるのでしょうか?
なぜならば実際に「Oriental Dance(東方の踊り)」と表記した際に、違和感はありませんでしょうか?
このことはオリエンタルダンスと呼ぶことを強く提唱しているスペインのNesma先生のFacebook投稿の中でも度々議論を起こしていますが、「Oriental」もしくは「Orient」という言葉の想起させるイメージに、我々アジアの日本やまたお隣韓国、台湾、中国、まだ言えばベトナムやタイその他、ロシアを除く、ヨーロッパの東側の多くの国々がありませんでしょうか?
ヨーロッパにとっての「東」を意味する地域が、アフリカ大陸北部及びアラブ諸国であった頃、その「オリエンタル」という言葉は、まさに彼の地を指していたと思われますし、現在もそうなのだと考えられますが、移動手段や地理の計測方法が確立されたこの時代においてはその広汎な意味を持った「オリエント」はもっと多くの地域を指すことになってしまっている状況があると考えられます。
そしてまた、これはオリエンタルダンスの本場である、エジプトやトルコを代表とする地域そのものが、ヨーロッパの視点を持って自分たちの文化を名乗っていることに他ならないようには考えられまいかと危惧しています。
私は語学の専門家ではありませんが、呼び名におけるある種シンプルな違和感の中に人や文化の永続的なアイデンティティ確立の種が眠っていると、かの映画「千と千尋の神隠し」で名前を奪われ、雇用主によって新たな名前を与えられ、そして名前を取り戻す過程においても描かれていたその論理を持ってこの「ベリーダンスからオリエンタルダンスへの呼び名を変更する潮流」に疑問を持っています。
そして、歴史を振り返る際に中東が植民地として帝国主義に蹂躙され、紛争の火種となってきたそのヨーロッパ的視点から自らを名乗ることを是とする現状をこれから時代が下っていく際に、容認されるだろうか?とも考えられます。
だからと言って、新たな提案を未だ持つには至っていないところが私のジレンマではあります。
解決策の一つとして、「エジプシャンダンス」という方もいるでしょう、「ターキッシュダンス」という方も、しかしこれでは1990年台に日本に入ってきた「ベリーダンス」の「自由」で「美しい」目新しい踊りとして取り組む人々の心を魅了した踊りとしては、限定的過ぎる呼び名になってしまうでしょう。
原点に立ち返り、アラビア語の踊りの意味「ラクス」と呼ぶのが一番ふさわしいのではないでしょうか。ただトルコの「踊り」の意味を包括しないことが気になります。
しかしながら、「バレエ」がもともとフランスにおいて呼び名として確立される際に、イタリア語の「Ballare(バラーレ)」から言葉を取ったという説があることも鑑みて、トルコにおいても「ラクス」と呼んでいただくことを了承してもらうか、、「ベリーダンス」より、マシだというのであれば。
「東洋=オリエント」に生まれ生きる人間としては、中東の踊りを「オリエンタルダンス」と呼ぶのは大変抵抗がある。このことは絶対に主張しておきたい。どうしてもそう呼ぶのなら仕方がないが、「ベリーダンス」に対する性的な意味合いを想起するその認識をこそ、変革させるべく取り組む方策はないのであろうか。ただこの主張には一つの大きな欠陥がある。それは、そもそも、我々が東というのはどういうことだ?我々からしたら、北米南米の方が東で、中東は西なのですが、この件をどのように扱うかという問題も生じる。外来語をカタカナでそのまま受け入れてきた日本において、問題提起としての理解を得るのも難しそうである。
そういった、呼び名から端を発する疑問が私をエジプト民族舞踊への取り組みへと駆り立ててきた要因の一つであることは、間違いありません。
まだまだ考察はつづきます。
madoka