2人でそしてみなさんのお力をいただいて
ダンスイベントをやり遂げて
地球の歴史や
日本国で動いてきた人々の信仰や支配の歴史、
を感じられる場所へ
自分の足で歩いて
皮膚で肺で全ての感覚で
力を受け取りながら
参詣いたしました。
=以下 、脳内メモ。いつかまとまるかも?=
今回、腑に落ちた言葉は
私たちと一緒に歩いてくださった
山好きの姉様のお言葉
「文化のあるところには信仰があるが、
(おそらく山岳信仰や神話の伝承など)
そうでない山で美しさや神性を感じる場所はある」
物質的豊かさや生命維持可能な土地であることと信仰や神話は結びついてるということかもと感じ納得。
南極に神話はない。
神はいる?
私たちが知るような神話が創作(失礼!)されているような時代に
南極大陸の存在を誰も知らない。
神話は人が人を支配するために作ったもの。
天孫降臨が支配の根拠とされているが、
天孫は神ですかね?人ですね。
だって世界は日本しか無いわけじゃないでしょ
神なら地球全部産んでてもいいんじゃないかしらね
なぜ鹿児島、宮崎に神話の場所が残っているのかって、そういう話を作っても文句を言って来るような有力な豪族がいなかったのでしょうねというM先生の言葉もかなり納得。
北九州には沢山の強力な豪族がいたようで、ここに天孫降臨などと言えなかったよう。
面白い話ではあるが
今回トルコ料理とベリーダンスショーをするにあたってトルコと中東情勢について少し情報をさらっていてみたが、
シリア、トルコ、クルドと大航海時代から連綿と続く欧米列強、中東の歴史、
結局のところ近現代式の国を作るノウハウを持っているかどうかというのが単に国という枠を作ってきただけであるのだなという印象を持っている。
民族独立、五族共栄、民主主義?正義はない。
どんどんズレてしまうが
かつて国、という概念と自分を特別な存在としその他を自分と関わる特別な存在とし、そうでない者を卑しい者もしくは敵とする、概念、ノウハウを持った人々がいた。
そんなことよりもずっと前から
山は存在し、霧島山と呼ばれる21の火山は荒れ噴き、時に長く沈黙し、また火を噴き
そうしているうちに植物や動物が行き交い人間が生きて
山を恐れ、火を鎮めようと祈り
そうこうしているうちに
ノウハウを持った人間がやって来るのか
祈っていた人々が方法を編み出したのか
私は特別。あなたも特別。
私は特別ではない。あなたは特別ではない
そのことに意味はあるか?
身もふたもないが、私は特別でなくとも生きている。何と比較して特に別なのか?
特別である必要はない。
私自身と他の存在を感じる身体があれば
この生命を生きている間はそれで良いのだ。
そしてそれは他の誰も皆同じ。
神はいる?
神がいたらいいね
いたらいいねというみんなの気持ちが
この世には存在してるってことなのかもしれないですね。
M先生ご夫妻
本当にありがとうございました!!
madoka